こんにちは、関屋です。
お知らせの通り、小学生向けに読解力育成講座を開始することといたしました。今回のブログでは、これを始めるに至った背景などを書いていきたいと思います。
そもそもどんな内容なのか
読解力育成講座では、「ことばの学校」という教材を利用して学習を進めていきます。
内容について簡単に表現をすると、「音声朗読アプリを併用しながら、”速聴読”という手法を用いて読書を行う→文章中に出てくる表現に関するワークに取組み、語彙力を向上する」といったものです。
この実際の学習イメージについては、これだけでは分かりづらい部分がありますので、ご関心のある方はこちらより説明会の申込みをいただけたら幸いですが、この講座を通して子どもたちが成長していく姿の像としては、「本を読まなかった子が、本を読む(読める)ようになる」「長い文章であっても、自らそれを読めるようになる。(&文章の読解に対して自信を持ち、避けずに「読もう」という姿勢を持てる)」というものです。
なぜ始めることとしたか
私たちは「学習塾」の立場として、普段から子どもたちが学んでいく過程と向き合っていますが、国語といった教科に関わらず土台となる「読解力」の重要性を多くの場面で認識しています。
例えば「問題文の意味が分からない」ことや、「解説文の意味が分からない」というシーン。普段の授業中、私たちの問題解説の方法として、子どもが自分で分からない問題があった時に「解説文を読んで、文章のどこまでの意味が分かって、どこからが分からないかをまず自分で考えてみよう」「その上で、分からない箇所から、一緒に考えよう」といった会話を、(これは特に小学6年生~中学生において)行っています。
これは、子どもたちが「自分が何を分かっていて、何が分かっていないのか」「何が分かっていないから出来ないのか」ということに自ら気づく=自ら考えて学習を進めていく力を伸ばしていくことを意図した関わりです。もちろん、自分で考えてみた結果、「やっぱり全体的に分かりません。どこからと言われても、もはや最初から…」といったこともあります。それでも、(最終的に、自分が何を分かっている/分からない、が分からなかったとしても)まず自分で考えてみる、その習慣を持つこと自体にすでに意味があると考えています。
数学で分からない問題があり、また子どもが答えや解説を確認せずに質問をしたときに、それに対して私たちの方で問題解説を行うことは可能です。またそれによって、分かりやすい解説が聞けた時に、子どもとして「分かった!」という感覚を抱き、満足できる可能性はある、むしろ高いとも思います。また講師の立場としても、上手に教えられた時に、「うまく教えられた」という、ある種の(これ自体は本質的ではない)達成感が得られてしまうかもしれません。
ただこれまでの経験から、子どもがまず自分自身で十分に自ら考えていない中で問題解説をしても、結局のところ理解としては表面的で浅いものとなってしまい、また後日になって、同じ問題に対して「やっぱり分かりません…」ということ、あまりその子の身になっていないようなが多く発生してしまうようなこととなりがちです。
問題や答え、解説文に書いてあることの意味を、結局すべてを分からなくても、まず「自分で理解しようとする」努力を可能な限り行うこと。その状態に対して講師の問題解説によって理解できなかった箇所が適切に補われていくことによって、より自ら学んでいく力が伸びていくと考えています。
また、「自ら学んでいく力」という表現を使いましたが、中学生では定期テストで「9教科」も学習せねばならず、その幅広い試験範囲に対して、すべてを塾の講師や、もしくは保護者の方など、誰かの力に頼って学習していくことは出来ません。また、より大きな視点としては、高校や大学への進学後など、もしくはそれ以降の社会人としてももちろん、誰かに「教えてもらう」機会は徐々に減っていき、自ら考えて解決していく必要性が上がってくるはずです。
そうしたことを考えた時に、その授業中の一時の満足度だけを求めてしまうのでなく、より中長期的に子どもたちにとって意味の大きな関わり方をできればと思っている次第です。
※少し誤解のないように補足をしておくと、授業中子どもが分からなくて困っている時に「自ら考える」ことをしていけるよう、こうした関わり方をしていますが、質問すること自体もちろん大歓迎です。そのため、質問すること自体に子どもが「この聞き方で良いかな…」と遠慮は持ってしまわぬよう、「質問はどんどんしよう!」と普段から伝えています。
なぜ始めることとしたか(改めて)
前段階の内容が少し長くなってしまいました、、普段の子どもたちとの問題解説を通した関わり方として、どのように私たちが意識し行っているのかを書いてきましたが、今回の読解力育成講座に繋がる部分として、ここで伝えたかったのは「文章を正しく読める」力がとにかく大切である、ということ。問題や解説文を読める/読めないは、本人がそれを読もうとしているか、という意識の部分もあるのですが、それと同時に(あるいはそれ以上に)「そこに書いてある文章の意味が分かるかどうか」が本当に大きいと思っています。
これは本当によくあることなのですが、子どもが何かを分かっていない時に、「あれ、なんでここを分かっている(もしくはこれは出来る)この子が、この解説文の意味が分からないのだろう」と思った時に、よくよく本人の理解度を繰り返しの質問を通して確認してみると、「問題の文章を勘違いしていた」「問題や解説文に出てくる言葉の意味が分かっていなかった」ということが頻繁にあります。私たち大人の立場として自然に理解できると思っている文章が、子どもたちにとって意外と思った以上に理解をできていない、、ということが少なくありません。
自ら学んでいく=誰かの手助けに依存せず、自分自身で進めていけるような力をつけていくために、その本質は「読解力」の向上にこそある、と考えています。
これまでの取り組みとして
この「読解力」に対する課題感は、私たちとして以前から長く抱き続けてきたものでした。それに対してどういったアプローチが出来るかと思考錯誤し、これまでに、こうした取組みなどを行ってきた経緯もあります。
子どもたちの読解力を伸ばしていくためには、長い時間をかけた継続的な学習方法が必要なはず。ただ、以前に行ったような(その授業内容や教材を都度オリジナルで作っていく)方法は、その部分で難しいところがありました。
そうした過去の振り返りなども含めて、今回は読解力育成講座として「ことばの学校」という教材(サービス)を導入して、活用していくことを判断しました。
持続可能な学ぶ仕組みの中で、時間をかけて子どもたちが読解力を伸ばしていくことができれば、と考えています。
「ことばの学校」での学習を通して
読解力育成講座では、本を読む時間がある一定長いのですが、その時に、音声アプリを使った「速聴読」という手法を取ることによって、もともと読書や文章を読む子であっても、抵抗感なく読書が出来る仕組みが出来ています。この経験を積み重ねていくことによって、「読書そのもの」に対しても前向きに取組んでいける姿となっていきます。
読書を出来るようになること。長い文章に対する抵抗がなくなること。文章に対して慣れを持つこと。これはどれも大きな意味があると思います。
「問題の解説文を読めない」背景について先程書いた中で、「文章が読めない」ことに触れましたが、これと同時に「意識」の面も大きく関わっているはず。この「意識」の面というのは、「やる気がある/ない」などといったことでなく、「文章(長文)を読もう(読める)と思える、自信がどれだけ備わっているか」という意味です。
「どうせ読んでも分からない」といったような言葉を子どもたちから聞くことが時折あるのですが、こうした言葉の背景にはそうした子どもたち自信の「文を読むことに対する手ごたえ」があるように感じています。
読解力という具体的なスキルを伸ばしていくことはもちろん、こうした「自信」という意識の部分でも成長の機会とできるよう、読解力育成講座を行っていければと考えています。