江戸川区平井の個別学習塾 C.school の5月号通信です。今月は、高校でも受験期と変わらず努力する高1、誰に言われずワークを進める中2など、主体性ある取り組みをお伝えします。コラムでは中阪が「日々の中で心を動かされる経験」の大切さを、関屋は「ルールを大切にしつつ依存せず、他者への配慮から自分で善悪を判断する」ことについて書いています。
2025年6月号
新しい環境でも変わらずに。(中阪)
中学生とは一足早く、高校生は5月に新学年最初の定期試験を迎えました。特に高校1年生にとっては全く新しい環境での初めてのテスト。新しい人間関係や、中学の時から内容も科目数も増えより一層難しく感じるようになった勉強に少し戸惑いながらも高校生活に馴染みつつあるように感じます。中でも印象的なAくん。受験生だった昨年、当初は勉強へのスイッチがなかなか入らずでしたが、直前期にかけて頑張れるようになり無事第一志望に合格しました。夜遅くまでともに一緒に頑張ったのは私としても色濃く記憶に残っています。今回の試験前も受験直前期と変わらず長い時間塾で頑張り、周りの友だちに負けないようにと粘り強く取り組んでくれました。高校では同じような学力層、もしくは自分よりもレベルが高い子も集まっているかと思いますが、驕らず腐らず頑張り続けてほしいと思います。
見えない努力から垣間見える主体性(入山)
中学生が定期試験前に入りました。試験範囲の配布もされた学校もあり、学校ワーク等も計画的に進めていく必要のあるタイミングですね。今回C.schoolに入って初めての定期試験を迎える中2のBさんですが、この期間に入る以前から誰に言われるでもなく学校ワークをコツコツと進め続けてくれていました。小さなことかもしれませんが、先を見据えて「やっておこう」という小さな積み重ねは「やらされる」ではなく自分で考えて動いた主体性や自分ごととして捉えられている責任感の表れだと感じています。これからの学びにおいても、自分を支える自信にもなると思うのでこれからも大切にしてほしい力だなと思っています。
「できる」か「できない」ではなく、「やる」か「やらない」か。(関屋)
中学3年生に、期末試験に向けた学校の教材の学習計画を立ててもらうことがありました。ある一人の人(Cさん)が立てた計画が毎日のボリュームのある程度多いもので、少し大変そうなものだったので「これって出来そう?」と聞いてみたところ「やります」との一言。学校の教材を計画的に進められるかどうかは結局のところ自分の意思次第の範囲なので、「できる」か「できない」ではなく、「やる」か「やらない」か、その覚悟だけなんですよね。その言葉を聞いて、大切なことだなと改めて感じました。今年最初の定期試験、まずは自分ができることを「やりきって」ほしいなと思っています。
〜 今月のコラム 〜(中阪)
近隣中学校では運動会も終わり、1学期(前期)の初めての定期試験も近づいてきました。
ゴールデンウィーク(GW)が終わり1ヶ月過ぎ今さらとなりますが、私はGW中、地元の神戸に数日ですが帰っていました。帰省中、自分が昔よく通っていた映画館のパルシネマしんこうえんに訪れ映画を観ました。この映画館は神戸・新開地にある、昭和の時代にタイムスリップしたような昔ながらの映画館で、上映前には支配人さんが映画の前説をしてくれます。一般的な大きな映画館とは少し雰囲気は違いますが、とても趣のある映画館なので機会があれば是非一度訪れてみてください。
GW中にこのパルシネマに訪れた後、自分の中の映画スイッチが入り、休み明けには高田馬場にある早稲田松竹という映画館に初めて行ってみました。そこでは「SUPER HAPPY FOREVER」という作品を観ました。内容としては愛する人との過去とその愛する人を亡くした今とを描いたものです。今まで上映中に感動して涙を流す映画はたくさんありましたが、この映画に関しては上映中ではなく、なぜか映画を観終わった後の帰り道歩いている時に内容を思い出して目頭が熱くなってきました。ただ、その感情が悲しかったのか、辛かったのか、何だったのか今でも言語化できずにいます。また最近は「バジュランギおじさんと、小さな迷子」というインド映画を観て、ラスト20分、感動し過ぎて観終わった後に目が腫れるほど涙を流してしまいました。
さて、皆さんは普段の日常の中で心を動かされるという経験をどれだけできているでしょうか。
今回の自分のように「映画やドラマを観て感動して涙を流した」「運動会のリレーで1位になれて嬉しかった」「誰かに馬鹿にされて眠れないほど悔しかった」「仲が良い友だち、もしくは好きな人と話しながら何気ないひとときを過ごして心が満たされて楽しかった」など感情を動かされるという経験を多感な時期を過ごす子どもたちには大切にしてほしいなと思っています。嬉しかった、楽しかったというプラスの感情だけでなく、マイナスの感情に対してもフタをせずに向き合うこと。それが人間的な成長につながると思っています。漫然とスマホでYouTubeを見たりゲームをしたりするだけでなく、日々の生活の中で浮いたり沈んだりする「なまもの」の心を大切にしてほしいと思っています。むしろ、悔しい、恥ずかしい、辛い、悲しい、寂しい、腹が立つといったマイナスととらえられがちな感情が自分を衝き動かし、学生時代には勉強や部活を頑張ってこれたと思っています。子どもたち、特にこれから受験を控えている子たちには大切にしてもらいたいです(自分の中でMrs. GREEN APPLEの「ライラック」のワンフレーズの「感じたことのないクソみたいな敗北感もどれもこれもが僕を突き動かしている」が頭の中に残っています)。昨年度の受験生のエピソードですが、推薦入試4日前の面接の練習中、色々な思いが込み上げてきて感情を露わにした子がいました。その子はその感情と真剣に向き合い消化し、当日まで具体的にどうしていきたいかを改めて考え、最後の最後まで入試を闘い抜き、無事第一志望に合格することができました。この子、もしくはこれまでの他のともに頑張ってきた受験生は内なるフラストレーションや苦労と向き合い闘いながら成長してくれたんだと今振り返れば思います。これから一緒に闘っていく子どもたちとも自身の「なまもの」の感情と向き合いつつ、1年間を過ごしていければと思っています。
ルールを大切にすること。でも依存しないこと。(関屋)
先日、中学3年生の子達向けのLINEで次の内容を送らせてもらうことがありました。この背景の考えについて、今回は少し説明をできたらと思います。


まず第一に「頑張っている人が損をしてしまう」空間にはしない、ということが塾の大切な価値観としてあります。これは塾の開校以来、現在まで変わらずあり続けているものです。誰かの何かの行為が周りの人にとって不快となってしまい得るものであった場合、塾としてそうした瞬間には注意をさせてもらっています。その理由として「その人に対して、その行為を改めて頑張ってほしいから」ということはあるのですが、その他に(むしろそれ以上に)、その瞬間に頑張っている周りの人達を守る責任が塾としてあるからです。誰かと授業時間におしゃべりをしてその人が快適に過ごしている一方で、集中して頑張っている人が不快な思いをしてしまっている(損をしている)。
そんな状態には出来ないので、徹底させてもらっています。
もう一つ。そもそも塾の(もしくは社会の)ルールだから、それをしっかり守ってほしい(守るべき)ということもあります。基本的なこととして、ルールとして設定されていることはその環境にいる限り守るべき。それはまず認識すべきだと思います。
ただ、「ルールだからそうすべき」と伝えることには少しだけ違和感もあります。
「ルールだから」と”だけ”考える人であってほしくないなとも思っています。社会生活において問題となり得ることのうち、その全てに対してルールが設定されている状態であることは難しく、(特に人の立場によって利害の矛盾がある場合に)その設定されているルールが必ずしも正しいとも言い切れないこともあるはずです。ルールは万能ではないと思います。
そうした時に「これはルールで定められてないことだから、別にやってもいいじゃん」となってしまうのでなく。「これはこういうルールなんだから、これでいいじゃん」となってしまうのでもなく。なぜそのルールが必要なのか、それについて自分なりに考えを巡らせることができる。ルールに依存せず、自分自身で善悪を判断できる。判断の基準を、自分の中に持てている。そういう人であって(になって)ほしいと思っています。そしてその判断の基準は、多くの場合に「他者に対する配慮」であるとも思います。ルールどうこうに関わらず、他者のことを想像し、他者に対して配慮を持てる人であってほしいです。
何かがあった時には妥協なく注意させてもらいます。ただ、そうした注意もその人の「行為」に対して行っているものであり、その人自身(人格)に対して行っているわけではないです。その人自身を否定しているということは全くないです。せっかくこの塾に来ることを望んでくれ、頑張っている一人ひとりを応援していますし、出来る限りのサポートを一人ひとりに対して等しくしたいと思っています。
そのためにも、全員が学習に集中できる環境であり続けられるようにしなければと思います。(関屋)
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