こんばんは、C.schoolの関屋です。
12月18日、Dプロとして『読解力を鍛える 碁石ワークショップ』を行いました。
授業を行った背景
12月初旬、「日本の15歳、読解力が15位に急落 国際学習到達度調査」といったニュースが新聞各紙で大々的に報じられました。これは、経済協力開発機構(OECD)という組織が、3年に一度世界的に行っている「PISA調査」の最新結果を伝えたもので、日本は「読解力」の項目で、前回から大きく順位を下げてしまったという内容でした。(2015年調査:8位→2018年調査:15位)。
子どもたちの「読解力」において、過去からの現在までの変化という文脈では、私には実感としては正直よくわかりません。ただ一方で、C.schoolで日々子どもたちと接する中で、その問題につまづいている原因が「読解力」に起因しているのかも、と目の前で感じる機会は確かにあります。
数学では、公式や解き方は理解できているものの問題文を正しく理解できていない、ということ。国語では、すこし複雑な論説文となると要旨を掴めなくなってしまう、ということ。社会では、実は問題文や資料にヒントがあるもののそれを発見できていない、ということ。
これらのことは小中学生に関わらず全体的に見られるケースではありますが、一方で、顕著であるのが「中三生」であったりします。
それは、「中三生」たちの能力(読解力)が低いから、ということではありません。(むしろ学年が上がるにつれて、正しく文章を読む力は付いているはずです)。彼らが取り組んでいる「受験問題(過去問)」が「読解力」を要する内容となっていることに、その理由があります。
例えば、東京都立高校の受験問題では、昨年度に以下のようなものが出題されています。(引用元:http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/admission/high_school/ability_test/problem_and_answer/release20190222_01.html )
私立では学校ごとに問題の出題傾向は異なっていますが、少なくとも都立では「読解力」を必要とする問題が毎年多く出題されているのが実情です。暗記している「知識」の量のみを問うような問題は(国語の「漢字」範囲を除いて)ほとんどなく、問題を解く上でのベースとなる「知識理解」に加えて、「読解力」や「思考力」と呼ばれるような能力まで求める問題が都立問題のほとんどとなっているのです。
授業の内容
こうした社会的な背景に加えて、私たち自身の実感としての「読解力」の必要性から、何か「読解力」の向上に繋がる取り組みを行えないものかと考え、様々な本などから知識を得て検討を進めていました。
その結果、試験的に実施をしたのが今回の授業『読解力を鍛える 碁石ワークショップ』です。(今回の授業の内容は、『AI vs.教科書が読めない子どもたち』という書籍の著者である国立情報学研究所の新井紀子先生が提案しているものをベースとしています。)
授業のポイントとして、子どもたちに何度もチャレンジしてもらったのは「一意に説明する」ということ。「一意」とは、言葉の定義としては「一つに決まること」を指します。
では、もし「JR平井駅の場所を一意に説明しなさい」と問われた場合にどのように説明することが適切か。
例えば、路線図に着目した場合は以下のような回答があるはずです。
①「JR総武線にある駅です」
②「JR総武線で亀戸駅の隣にある駅です」
③「JR総武線で下り方面に乗車すると、亀戸駅の隣にある駅です。」
④「JR総武線で亀戸駅と新小岩駅の間にある駅です。」
⑤「JR総武線で亀戸駅と新小岩駅の間にあって、下り方面に乗車すると亀戸駅の隣にある駅です。」
この中で、「一意」といえるもの=「一つに決まる」ものは③~⑤です。(①は総武線の全ての駅が含まれてしまいますし、②では錦糸町駅も含まれてしまいますね。)
また、③~⑤はすべて一意であるものの、⑤の場合は説明がすこし余剰となってしまっています。
大切なのは『一意であり、かつシンプルであること』です。
こういった考え方を理解してもらった上で、今回の授業のテーマは「碁石ワークショップ」。ビジュアル的な碁石の並べ方を言葉として説明してみたり、逆に言葉としての表現がら碁石を並べてみたりと、「一意」という原則の中で、さまざまにチャレンジをしていきました。
風間や私はもともとIT系の企業に所属していましたが、ITやプログラミングの領域では、「一意」という表現は比較的よく使われるものであったりします。(プログラミングとして作成したシステムが、必ず一つの挙動を取るように設計することが求められるため。私自身はエンジニアではなかったですが、それでもこうした言葉が飛び交う環境ではありました。)
おそらく「一意」という言葉は多くの子どもたちにとって初めてであったと思いますが、みんなで楽しみながらもよく理解し、授業の終盤では全員が「一意」な碁石の並べ方ができるようになることができました。
授業を終えて
今回の授業は、「読解力」の向上に対する取り組みとして試験的に行った取り組みです。今回の授業たった一度だけで「読解力」が向上するとは考えにくいですし、「読解力」向上のアプローチとしての正しさも、現時点ではまだ十分な判断はできません。
ただ、「読解力」が子どもたちにとって必要であり、それが直近では高校受験、さらにその先の人生を含めて大きな助けとなることは間違いのないことで、あとはそれに対してどれだけ有効な手を打っていけるか、という状況なのだと思います。(それはC.schoolに限らず、学校なども含めた社会全体として言えることでもありますね。)
「読解力」の向上に関しては、まだまだ試行錯誤の中にあります。Dプロに関わらず日々の生徒たちへの指導も含めて、私たちの立場としては何ができるのか、引き続き考え続けていきたいと思います。
江戸川区平井の学習塾C.school 関屋雄真